創業40年を迎え、これからも進化し続ける、新潟運輸支局 認証工場 チューニングショップ 有限会社サカモトエンジニアリング

サカモトな日々

10月 15

報告が遅くなりましたが、10月9日の日曜日に富山県のイオックスアローザで開催された全日本ジムカーナ選手権の最終戦を見てきました。

 

今回はサポートドライバーが参加してる訳でもなく、ただ純粋なギャラリーとして見に行ったのですが、よく考えたら一般ギャラリーとして観戦するのは実に28年ぶり 😯

 

思い起こせば28年前の1988年、ジムカーナを始めたばかりの私は群馬県にあった関越スポーツランドで開催された全日本ジムカーナを見に行って衝撃を受け、その後の私の生き方に大きく影響を与えました。

 

その大会には当時の新潟のトップドライバーが何名か参加していたのですが、結果は・・・

まあ、善戦したと言えるくらいでしょうか 😐

トップ連中の速さは別次元でした。

 

そして、そんな新潟の選手が惨敗していく姿を見て

いつか自分がこのステージに上がり、全日本チャンピオンになってやる!」

と、心に誓ったのでした。

 

その翌年(正確に言うと帰って来た直後)からさらに練習を重ね、少しずつステージを上げていき、職場も変えて、色々な方からの協力も得て、1997年からは全日本シリーズ戦を追えるところまでは行けたのですが、年間ランキング3位にまでなれたところで諸々の事情により2003年からは休戦状態に入り、現在までに至ります。

 

その後はジムカーナから離れ、仕事に専念する傍ら、S14でサーキット走行会やサンデーレースに参加したりと色々ありましたが、数年後に今度は全日本ジムカーナに参加する選手のサポートをすることになり、ドライバーじゃなくマシンとしてまた全日本戦に参加する事となりました。

 

CRXに乗るその選手は、以前から自分のエンジンのヘタリを感じてて、サカモトにオーバーホールを依頼してきたので、シーズンオフにエンジンを組み直したら、翌シーズンは年間チャンピオン争いが出来るほどになりました。

 

2010年のその年は最終戦までシリーズポイント争いが続き、その日に勝った者がシリーズチャンピオンという戦いでしたが惜しくも負けてしまい、チャンピオンにはなれませんでした。

 

 

問題はその日の走行後のこと、同じクラスで走る選手から抗議が上がり、CRXの車両再検査が行われ、その結果、車両規定違反で失格の裁定が下されました。

 

言い逃れは出来ません。知らなかったという言い訳は通用しない世界です。

 

私もドライバーもショックでしたが、ずっと戦友だと思っていた選手数名から抗議を出された事がドライバーはショックだったようです。

 

その帰り道、私は彼のCRXの隣に乗り、ショックからまだ立ち直れない彼に、翌年も参戦してくれるよう説得し続けました。

「今度は誰からも文句を言われないエンジンを、パワーを落とすこと無く作ってみせるから。頼むからもう一年戦ってくれ」と。

 

一度でも車両規定違反で失格になると、その後何年もの間、ドライバーもショップも「インチキ野郎」という目でまわりから見られるので、参戦するには相当の勇気が必要になります。

 

それから一ヶ月以上経った年末に、彼はようやく参戦の意向を示してくれたので、ニューエンジン制作のためにまずは中古エンジン探しから始めましたが、スポーツ走行経験のある車の中古エンジンは何が変えてあるか分からないため絶対に選ばず、完全ノーマルのCRXから降ろされた中古エンジンを購入して分解し、部品の一個一個を、それがEF8の純正部品であるかどうかを確認しながら作業しました。

 

ナンバー付きであるこのCRXが走る「SA1クラス]は、EK9やEG6、RX8など1600cc以下の2輪駆動車で争われるクラスですが、エンジン内部パーツやコンピューターの変更、加工、改造は一切許されてません。

じゃあどこでパワーを稼ぐかと言うと、組み上げる際の各パーツクリアランスの測定に次ぐ測定、一部組んで測定して理想の値からずれてればまたバラして組み合わせを変えて組んでまた測定・・・。

そして消耗部品も新品を必要数以上に数を揃え、その中から一番合うものを選んで組むという非常に時間のかかる作業を面倒がらずにやることで、メーカーが設計した本来の能力を引き出せるのです。

 

手もかじかんで感覚の鈍る冬の工場で、ただひたすら「勝ってくれよ!」という思いを込めて・・・

 

そうして組み上げたニューエンジンを載せて2011年のシーズン開幕戦を走った彼は、2位以下を1秒以上ちぎって優勝し、現地から喜びと戸惑いの電話をくれた事は今でも忘れられません 😉

 

しかし全日本という世界は甘くなく、終わってみれば1位と2ポイント差でシリーズ2位という結果でこのシーズンも終わり、翌2012年もまたシリーズ2位と言う結果を残して、彼は家庭の事情で引退していきました。

 

その後、そのマシンを引き継いだ選手も2年間全日本戦に参戦しましたが、スポット参戦だったためシリーズランキング入りも無く、2015年にはまだ若い群馬の選手に売却しました。

 

 

そして今年、そのCRXを購入した群馬の若い選手が、またシリーズチャンピオンに王手をかけたのです。

 

今回私が富山まで行った理由のひとつは、その勝負を見届ける事でした。

 

また最終戦までもつれた今年のシリーズ争いですが、今回はこのCRXの方がポイントトップで迎えて、先に走るライバルの結果次第では自分の成績に関係なくチャンピオンが決まる条件下、見事に全日本シリーズチャンピオンを獲得してくれました。

 

 

この大会の順位は6位でしたが、私は走り終わったCRXに駆け寄り、窓越しに彼と握手をし「ありがとう」とだけ言いうのが精いっぱいでした。

それ以上の言葉を出すと涙が止めどなく出そうだったからです。

 

 

28年前に心に誓った夢は、私自身で叶える事は出来ませんでしたが、私の魂を載せたマシンは夢を実現してくれました。

 

 

組み上げてから6シーズン目を走り切ったエンジンは、当初よりもかなりパワーダウンしてるはずなので、チャンピオン獲得は純粋に彼の腕によるものでしょう。

 

しかし「買ってから何もしてません」と言う彼の、このチャンピオンマシンのボンネットの中には、間違いなく私の、いやサカモトエンジニアリングの魂がまだ息づいていると思うと、それだけで胸が熱くなるのです。

 

この「若林隼人」君という群馬の若い選手は、全日本戦の参戦2年目にしてシリーズチャンピオンという称号を得ましたが、私にとっては、とてつもなく長い道のりだったこと、そして心のどこかに潜んでいた蟠りがようやく解けたことをここに記させてもらいました。

 

 

物凄く長文になってしまいましたが、ここまで読んでくれたあなた!最高です 😆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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